「ヅラと呼ばないで」vol.1 心の中で叫んでいる

無表情の女性
イラスト:Natsuki Natsuiro

「え、それヅラ?笑」 この言葉を恐れて隠れたり、気を張ったりしていませんか? ウィッグをかぶるということ、社会で生きて行くということ、 ヘアロスを経験して考えさせられるトピックについて、連載でご紹介します。 第一弾として、私エリカの経験から「ウィッグを被っている自分」をどう捉えるか、について考えていきたいと思います。

目次

「それヅラ?」って言われたら?

筆者であるエリカが抗がん剤治療を始めて、脱毛もして、ウィッグを被っていた時のこと。 治療がひと段落して、翌月から職場復帰になることが決まり、元々仲のいい会社の同期何人かとご飯に行きました。 職場の人は上司以外には病名や病状などは伝えておらず、「体調不良」とだけ言って休職していたので、彼らは私が脱毛しているとは知りません。 ウィッグを被って久しぶりに同期に会うとそのうちの一人が皆のいる前で開口一番に 「久しぶりー!元気そうでよかった。なんか髪の毛ヅラみたい!笑」と冗談として私に言ったのです。 その場で言い逃れるすべもなく、「実は本当にウィッグを被っているんだ」と脱毛している旨を皆に伝えました。 「もう病気は治ったし、髪の毛はそのうち生えるから気にしないでー!」 とその場では明るく振る舞いましたが、帰ってから一人でひたすらに泣いた思い出があります。

私が辛かったワケ

私に「それ、ヅラ?」と聞いた友達も全く悪気があった訳ではないでしょう。 私がカミングアウトした後は「何も知らずにごめんね」と申し訳なさそうにしていました。 彼女は知識がなかっただけなので、逆に、そんな思いをさせてしまってこちらが申し訳ないような気持ちにもなったのを覚えています。 でも確かに私は今でも覚えているくらい「辛い」、と感じた瞬間でした。 ではなぜ私自身、辛いと思ったのでしょうか? それは単純に「ヅラ被っているんだ」と友人からからかわれたように感じたから。 バレないようにと気にしていたウィッグをすぐに指摘されたことで何故だか自分がバカにされたような気持ちに勝手になってしまっていたことが要因だったと思っています。

私たちの「ヅラ」の捉え方問題

イラスト:Natsuki Natsuiro

そもそもどうして「ヅラ」がおかしいという認識なの?

「ハゲ」や「ヅラ」はどうして笑いものとして扱われてしまう事があるのでしょうか。 中年で髪が抜けた男性のことを「ハゲ」と揶揄することがあります。大抵の場合、悪口のようなニュアンスで用いられます。それに付随して「ヅラ」もそう言った男性が被っているウィッグが風で吹き飛んでしまったり、お辞儀の際にウィッグがずれてしまったり、そう言った描写が面白おかしく表現され、それが世間ではまかり通っています。 でも、そう口にする人はそのウィッグを被っている人の気持ちを1ミリでも考えたことがあるのでしょうか。 私は別に中年のおじさんの味方という訳ではありません。そういうことではなく、人の外見を揶揄して可笑しく言う事はとてもかっこ悪いのでは?と問いたいのです。 実際にウィッグを被っていれば、誰しもが本当にウィッグが風に吹き飛ばされそうになることもあると思います。何かの拍子にスルッと取れるんじゃないかと怯えています。女の子同士でよくあるように、意味もなく髪の毛を友達に触られたらどうしよう、と不安に思っています。「ヅラ」の一言で心が抉られるほど傷つくこともあるのです。 でも、どうして髪の毛がないことやウィッグを被っていることが「バレたくない」と思うのでしょうか?それは最終的に「多様性を受け入れる」を考えることに行き着くのではないでしょうか。

今の時代の多様性を受け入れることについて

イラスト:Natsuki Natsuiro

性別、人種、宗教、嗜好、障碍、あらゆることでこの世は無意識のうちにカテゴライズされています。でも一人一人が感情を持って生活があって、必死に生きている。 いわゆる「健常者」の人でも生きていくのに必死にならなくてはいけないのに、そんな生活の中に差別してくる人が目の前にいたらどうでしょう? 「がん患者」や「髪の毛がない」ということも世間ではカテゴライズされている部分があるのが、現状です。 先ほどの例に戻りますが、なぜ「それヅラ?」と言われた日には涙が止まらなくなってしまうのか、想像ができますか?それはこの「多様性を受け入れる」と言う問題に行き着くのです。 一人の人として尊重されていないような、肩身の狭い思いをしたから?その瞬間は相手と自分が対等ではなかったから? そして、そんな自分自身でさえも「ヅラ」というものをカテゴライズして自分をそこに当てはめているからではないでしょうか。

「ヅラ」を周りにどう受け入れて欲しいか?

ここまでで「ヅラ」を被ることについて考えてきましたが、ヘアロスを経験している当事者たちは、この先「ヅラ」を世間にどういった形で受け入れてほしいと考えるのでしょうか? 自然に見えるウィッグを選んでいるので「ヅラ」かな?と思っても触れないでほしい ・むしろいろんなウィッグを試したいからどの髪型が似合うね、と認めてほしい ・ウィッグを被っていると自分からカミングアウトするので、それ以降は特に気にしないでくれたら嬉しい などなど・・・ どう受け入れて欲しいか、というのは人それぞれ考えがあるので一概には正解を言うことはできません。 ですが、全ての基本である相手の気持ちを慮ることは忘れなければ、その人にあった対応が可能です。 この人ウィッグしているのかな?体調不良で休んでいたと言っていたけど病名はなんだろう?と思っても、その人からカミングアウトされていないのであれば、それはその人のプライバシー。多様性を受け入れるということは、なんでもおおっぴらにするが正しいのではなく、その人のプライバシーを受け入れて、守るということだと私は考えます。あなたにとってはどういうことですか? 人は、なんとなく漠然とした不安感を抱いている状態が一番辛かったりしますよね。 自分が相手にとってほしいスタンスが明確に分かっていれば、親しい人には事情を話して「こうして欲しい」と頼むことができるかもしれません。 きっと、ヘアロスを経験した人が自分らしく生きていく上でのヒントになるのではないでしょうか。

まとめ

今回は、私エリカの経験をご紹介しました。 もちろん、私自身と違う考え方があるのが当たり前です。ここに書いてあることが全てではありません。 でも、同じく悩んでいる人がいる、という事実がホッとできるきっかけにもなったらいいなと思います。 この「ヅラと呼ばないで」は今後連載にて他の方のインタビューを通してウィッグとともに生活することで生じる悩みや楽しみをご紹介していきたいと思います。 ぜひ今後もチェックしてみてください。

Erika

26歳。3年前、社会人一年目の時に卵巣がんが発覚。抗がん剤治療で脱毛し、1年とちょっとの間ウィッグ生活を送りました。治療を経て、現在は出版社に勤務しながら、アピアランスケアを推進するために活動中。がんの治療に向き合う全ての人が、社会から除外されずに「今」を生きていけるような情報を発信していきたいと思います。

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